次代のフレッシュ・プリンス、ジェイデン・スミス君に関する調査報告書(2006年度版)

nanacent2006-11-11


実のところ、映画「幸せのちから」におけるウィル・スミスの息子役は、一般の子役の中から選ばれるはずだった。

しかしイタリアの気鋭監督ガブリエル・ムッチーノが、オーディションにやってきた黒人の男の子100人だかを面接したあとで、
「かわいいが物足らん」
と発言したために事態は急転。
あとは思いつきか、ひらめきか、ムッチーノは主演男優をつかまえると、「いっぺん君んちの息子に会わせてくれへんか」。

こうして究極の身内主義は実を結び、その成果のホドはこの冬明らかになる。(日本では2007年1月27日から正月第二段シリーズでロードショー。)

2006年11月現在、先行試写会の招待客には厳しい緘口令が敷かれていて、感想は一切口外無用、その内容をうかがい知ることは難しいが、すでに伝説を予感させるこんな談話がこぼれ始めているのも事実。

曰く、「子役史上、『ペーパー・ムーン』のテイタム・オニール以来となる名演」(オプラ・ウィンフリー
「ウィル・スミスに言ったよ。君には息子の爪先ほどの才能もないなって」(クリス・ガードナー
「自分の手柄にしてしまいたいが、無理だ。あれは天賦の才能だ」(ウィル・スミス)

こうなってくると、来たるアカデミー賞にはパパではなく息子の方がノミネート!という物悲しいニュースも飛び出しかねないので、時流の先を行くためにジェイデン・スミスの経歴を今のうちにまとめておくことにした。



ジェイデン・スミスバイオグラフィー

本名、ジェイデン・クリストファー・サイア・スミス。ラッパー兼俳優であるウィル・スミスと、女優兼最近ヘビメタも始めたロックンローラージェイダ・ピンケット・スミスの間に生まれる。両親が仕事で家を離れがちなので、一緒に世界中を移動できるように学校へは通わず家庭で英才教育を受けている。今年開かれた8歳のバースデーパーティにはトム・クルーズもお祝いにかけつけたスーパー箱入り息子。3人兄弟の真ん中で、5歳上のお兄ちゃんがトレイ、2歳下の妹がウィロウ。実は2pacの生まれ変わりではないか、という説あり。(ジェイデン君が体内に宿って間もない頃、ジェイダが1年前に死んだ親友の2pacを語って、「私の息子になって戻ってくることを祈ってるの。彼が求めていたものを全部あげるわ。愛してあげる」と発言したため。ウィル・スミスの反応を見てみたかった。)


ジェイデン君の経歴年表

1998年
ウィルが長男のトレイ君に捧げた不朽の名曲"JUST THE TWO OF US"のミュージック・ビデオにどさくさにまぎれて出演。メディア初登場となるが、ジェイダの腹の皮に隠れていたため、あまりよく見えなかった。その後、満を持して7月8日に誕生。

1999年(1歳)
ウィルのアルバム"WILLENIUM"に声ネタで出演。"WILD WILD WEST"の収録をせがむジェイデンと、いやがるウィルの掛け合い漫才に幼児期からのコメディセンスが感じられた。(ワタシ評)

2001年(3歳)
911テロに関するジェイデンの問いかけがきっかけとなり、ウィルが"TELL ME WHY"を作曲。4年後にアルバム"LOST AND FOUND"に収録されて話題を呼ぶ。

2002年(4歳)
アルバム"BORN TO REIGN"に"JADEN'S INTERLUDE"として再び声ネタで出演。また、映画「メン・イン・ブラック2」で念願のスクリーンデビューを果たす。(空飛ぶ車を見上げる二人の少年のカット。隣にいるのがお兄ちゃんのトレイ)さらに映画のテーマ曲"NOD YA HEAD"のミュージック・ビデオにも兄弟で出演するはずだったが、いざ撮影となると弟の方は嵐のように泣きわめいて収拾がつかなくなったため、よその女の子に役をとられた。

2004年(5歳)
去年の雪辱を果たすため、ウィルとジェイダがプロデュースするファミリー向けテレビドラマ"ALL OF US"に数回出演。これが正式な役者デビューとなる。また、ウィルに「僕への愛情を距離であらわしてみて」と尋ねたところ、「そうだな、そこのテーブルぐらいまでかな」と返されたので「ちがうでしょ、月まで行って帰ってこれるぐらいでしょ」と抗議した…というエピソードをウィルが人様(ベン・アフレック)の映画の中でさんざん「ああいうのに弱い、かわいい、たまんない」と語るだけ語って去っていくという残念な事件が起きた。

2005年(6歳)
ウィルとジェイダがBETアワードの司会をつとめるにあたり、番宣のテレビコマーシャルに家族全員で出演。仲睦まじい家族を演出しておいて、カットの声がかかった途端に白けきった子供たちが次々と立ち去っていくというネタ。そのわずか一言の台詞にもジェイデンの力量が十分に感じられる内容だった。(ワタシ評)秋から「僕なら余裕でできる」と豪語して「幸せのちから」を撮影、年末にはウィルのライヴにも出演するなど大活躍の一年。本職のお勉強も真面目にこなし、ママのツアーを1週間離れて自宅で集中課題に取り組んだこともあった。そのとき、夜中に電話をかけてきたママに9時過ぎまで起きていることを咎められると「トレイと一緒にテレビを見てもいいってパパが言った」と告げ口するという、やってはいけないミスを犯した。スミス家では平日のテレビは禁止されていた。

2006年(7歳)
音楽はヒップホップが好き。ジェイダに「ママのヘビメタツアーは好きか」と聞かれて、妹は「大好き!」と即答。ジェイデンの方は熟考した結果、「・・・うん、すきダヨ。だってツアーを回ってるときは家族が一緒にいられるから」と思慮深く注意深く答えた。

   

「幸せのちから」公式サイトはこちら。
無限の可能性を秘めるジェイデン君のこれからに期待したい。

JUST THE TWO OF US - WILL SMITH(対訳)

幸せのちから」の公開にちなんで。
ウィル・スミスは23歳の時に、ファッションデザインの専門学校に通う一つ年上のガールフレンド、シェリー・ザンピーノと結婚。一児をもうけたが、まもなく互いに問題を抱え、結婚生活は機能しなくなった。子供のために一緒にいるべきだと主張するウィルと、離婚を要求するシェリーとの間で対立が起きたが、結局結婚生活は3年で幕を閉じた。
"JUST THE TWO OF US"は、ウィルが引き取った長男のトレイ君に捧げた有名な一曲。


JUST THE TWO OF US


(Now dad this is a very sensitive subject)


(1st Verse)
From the first time the doctor placed you in my arms
I knew I'd meet death before I'd let you meet harm
Although questions arose in my mind, would I be man enough?
Against wrong, choose right and be stand up?


From the hospital that first night
It took an hour just to get the car seat in right
People driving too fast, got me kind of upset
Got you home safe, placed you in your bassinet
That night I don't think one wink I slept
As I slipped out of my bed, to your crib I crept
Touched your head gently, I felt my heart melt
Cause I knew I loved you more than life itself
Then to my knees, and I begged the Lord please
Let me be a good daddy, all he needs
Love, knowledge, discipline too
I pledge my life to you


Just the two of us, we can make it if we try
Just the two of us, (Just the two of us)
Just the two of us, building castles in the sky
Just the two of us, you and I


(2nd Verse)
Five years old, you're bringin comedy
Everytime I look at you I think man, a little me
Just like me, Wait an see you're gonna be tall
It makes me laugh cause you got your dads ears an all


Sometimes I wonder, what you're gonna be
A General, a Doctor, maybe an MC
I wanna kiss you all the time
But I will test that butt when you cut outta line,
Trudat Uh-uh-uh why'd you do dat?
I try to be a tough dad, but you keep makin me laugh
Crazy joy, when I see the eyes of my baby boy
I pledge to you, I will always do
Everything I can to show you how to be a man
Dignity, integrity, honor and
I don't mind if you lose as long as you came with it
An you can cry, there ain't no shame it it
It didn't work out with me an your mom
But yo, when push comes to shove, You were conceived in love,
So if the world attacks, and you slide off track
Remember one fact, I've got your back


Just the two of us, we can make it if we try
Just the two of us, (Just the two of us)
Just me and you, against the world
Just the two of us, building castles in the sky
Just the two of us, you and I


(3rd Verse)
It's a full-time job to be a good dad
You've got so much more stuff than I had
I gotta study just to keep with the changin times
101 Dalmations on your CD-ROM
See me-I'm tryin to pretend I know
On my PC where that CD goes
But yo, ain't nuthin promised, one day I'll be gone
Feel the strife, but trust life does go on
But just in case, It's my place to impart
One day some girl's gonna break your heart
And ooh there ain't no pain like from the opposite sex
Gonna hurt bad, but don't take it out on the next, son
Throughout life people will make you mad
Disrespect you and treat you bad
Let God deal with the things they do
Cause hate in your heart will consume you too
Always tell the truth, say your prayers
Hold doors, pull out chairs, easy on the swears
You're living proof that dreams come true
I love you and I'm here for you


Just the two of us, we can make it if we try
Just the two of us, (Just the two of us)
Takin’the world
Just the two of us, building castles in the sky
Just the two of us, you and I
Can’t nuttin’ hold us down
Hold my hand, hold my hand
Just the two of us, building castles in the sky
Takin’ on the world, takin’ on the world
I’m always here for you
Look over your shoulder I’ll be there
Whatever you need just call on me
We gon’ride, we gon’shine
Whatever you need I’ll be there for you anytime,
Daddy loves you, daddy loves you
For the rest of your life
Just the two of us


(this is a really good song,
how much am I gettin paid for this, dad?)

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「パパ、これは慎重に扱わなきゃいけないテーマだよ」



(1st verse)
医者が初めておまえを腕に抱かせてくれた時から
おれは分かってた 
おまえを危険にさらすぐらいなら死を選ぶって
それでも頭に疑問が立ち上がる 
おれは信頼に足る男だろうか
あやまちと戦い
正しい判断で立ち上がれるだろうか


その最初の夜 病院からの帰り道 
車のシートを固定するだけで1時間 
まわりの車がスピードを出すから気が気じゃなかった
無事におまえを家に連れて帰り
ベビーベッドに寝かしつけても
あの夜は一睡だってできなかった
自分のベッドを抜け出して おまえのところへ這っていき
頭をそっと撫でたら 心が溶けていくのを感じた
人生よりもおまえを愛してると知ったから


それで床に膝をつき 神に祈った
どうかおれをいい父親にしてください 
愛、知識、教育
この子が求めるすべてを与えてやれますように
おれの人生をおまえに捧げる


おれたち二人だけで やってみればできるよ
おれたち二人だけで
二人だけで 空に城を築こう
おれたち二人で おまえとおれで



(2nd verse)
5歳はコメディの到来
おまえを見るたびに思う ちっちゃいおれだ そっくりだって
見てな いまにでっかくなるぞ
笑っちまう 耳までそっくり受け継いでるんだからな
ときどき考える おまえは何になるんだろう
将軍 医師 もしかしたらMCかも
いつだっておまえにキスしていたい
でもいたずらをしたらおしおきだぞ
本当だぜ 「なんでそんなことをするんだ」って
タフな父親になろうとするが おまえには笑わされてばかり
息子の目を見てると 狂いそうに嬉しくなる
おまえに誓って言うよ おれはいつだって
できることならなんだってする
どんな人間になるべきか手本を示すんだ
威厳 高潔 それに名誉
負けたって構わない 挑んでいる限りは
泣いたっていいんだ 恥なんかじゃない
おれとママはうまくいかなかったけど
いざというときには 愛がおまえを守ってるから
世界に立ち向かい 攻撃にさらされ 
道から弾きとばされたときは
本当のことをひとつだけ思い出せばいい
おまえにはおれがついていると


おれたち二人だけで やってみればできるよ
おれたち二人だけで
おれとおまえで 世界に立ち向かおう
二人だけで 空に城を築こう
おれたち二人で おまえとおれで



(3rd verse)
いいパパでいるのはフルタイム労働
おまえはおれの時代よりずっと物持ちだし
遅れをとらないよう勉強していかなきゃな
CDロムの101匹ワンちゃんだって
見てな パパはなんだって知ってるってふりをする
パソコンのどこにCDを入れるのかも
でもな 永遠に続くものはないから
いつの日かおれはおまえの前からいなくなる 
ショックだろうけど だけど大丈夫
それでも人生は続いていくから 
でもまあ念のため
これがおれの秘密の連絡先だ
いつか女の子に振られることもあるだろう
失恋の痛みほど辛いものってないんだ
ひどく傷つくだろうが 次には引きずるなよ
人生には 腹の立つこともある
おまえを侮辱し ひどい仕打ちを与える人もいる
そういう人たちのことは神様に委ねなさい
心に憎しみを抱けば おまえもすり減ってしまうから
いつも正直でいて 祈りを忘れず
人のためにドアを開け 椅子を引き 
汚い言葉は控えめに
夢が叶うことを おまえの存在が教えてくれた
愛してるよ おれはいつもここにいる


おれたち二人だけで やってみればできるよ
おれたち二人だけで
世界をものにしよう
二人だけで 空に城を築こう
おれたち二人で おまえとおれで
誰もおれたちを倒すことはできない
パパの手を握って
二人だけで 空に城を築こう
世界に乗り込もう
おれはいつだって おまえのそばにいる
振り向いてごらん おれはそこにいる
必要ならいつだって呼べばいい
一緒に乗り込もう 一緒に輝こう
必要なときにはいつでもそばにいる
パパはおまえを愛してる パパはおまえを愛してる
命のあるかぎり
おれたち二人で



「ほんとにいい曲だね。
それでボクのギャラはいくらなの?パパ」

No Robots, No Aliens and No Safety Net

nanacent2006-11-05


NEW YORK TIMESにウィル・スミスの新作"PURSUIT OF HAPPYNESS"(邦題「幸せのちから」)に関するインタビューが掲載された。
以下、その概略。
クリス・ガードナーのプロフィール、及び映画の内容に関する記述の一部はネタバレ防止のため省略した。)

ホームレス?ウィル・スミスの冗談か?金持ちで有名人、ハンサムで、20年近くも人々に愛され、まだ40歳にもなっていない男。彼を見れば誰でも顔をほころばせて、こう言わずにはいられない。「おい、ウィル・スミスだ。こいつはいいことがありそうだぞ」

次回作"I AM LEGEND"の撮影のため、マンハッタンに滞在している彼は細身の筋肉質の体をブラックシャツとブルージーンズに包み、その姿はテレビのフレッシュ・プリンスシリーズをやっていた頃とほとんど変わらないように見える。

映画スターとしてのスミスは善なるヒーローの役回りで観客を惹きつけてきた。ある時はロボットと戦う警官として、ある時はエイリアンと戦うエージェントとして、またある時は「実にでかい」エイリアンと戦うパイロットとして。

だが、人間ドラマ「幸せのちから」の中で彼が演じるのはサンフランシスコの路上ホームレスの男である。そこで描かれる実在の人物、クリス・ガードナーが証券業界で成功するまでに味わった失意の日々は、ウィル・スミスには知りえることのないものだろう。

これまでのスターダムを脱ぎ捨て、他人の皮をかぶるような役には成功の保証がない。ハリソン・フォードブルース・ウィリスもそれをいやがった。苦痛に満ちたプロセスになりえるからだ、あるいはスミスの表現するように「恐ろしい」ものに。

「誰かの人生を脚色して、それを2時間の枠内でやるのはすごく恐ろしい。しかも本人が現場にいる中では。最初の段階では『これはできない。無理だ』と言う。それから物語に取り込まれ、『やるしかない』と。そして本人に会う。そこで明らかになるのは、いかにやっかいな難題に取り掛かったかということだ。誰かの人生だ。僕が完璧主義者であることに加え、完全なアイデアを不完全な技術で撮影しようとする試みはー、それははらわたのよじれるような課業になる」

ゴールへ到達するため、スミスは25ポンド減量し、髪を伸ばして眼鏡をかけた。だが困難は外見よりも内側にあった。彼は多くの習性や小技を捨てなければならなかった。異常なまでの下準備も、秩序だったリスト(最初のテイク、怒り、二度目のテイク、失意)を作ろうとする傾向も。
レンズを通して監督のガブリエル・ムッチーノはスミスにうわべの技を捨て、深みへ向かうよう命じた。

「見せかけだ」とムッチーノは抗議した、とスミスは言う。
「私のカメラに見せかけは使うな。私のことは騙せない。君は傷ついたような表情を作っている。しばらく時間をとってもらう。戻ってきた時には見せかけではなく、傷つけ」

そういったやりとりから数ヶ月が過ぎ、今スミスは慎重に腕を組んで言う。
「演技とは概して屈辱的なものだ。だが誰かにそんな風に見られたときには、屈辱的以上だ。」

この数年間、スミスは自らが狙いを定めた他のすべてのゴールを手にしながら、「芸術家として軌道にのろうとあがいた」と言う。それを成し遂げることがどんなに困難かは想像の域を出る。ムービースターであるウィル・スミスが圧倒的な現実として存在し、どんなときでも彼につきまとう世界では。

他のゴールとは違い、これは力仕事や、伝説に名高い彼の魅力によってたやすく得られるものではないとスミスは思った。2001年の「アリ」ではスミスは苦労して自分の体をモハメド・アリに作り変え、魂を監督のマイケル・マンに捧げた。その演技で彼はオスカーの主演男優賞にノミネートされたが、映画自体は大きな興奮を呼ぶものとはならず、スミスは受賞者の有力候補リストからは外された。

だが、もちろんスターのペルソナイメージは彼のもとに残った。ガードナーはある時スミスを予告なしに夜の貧民窟へ連れ出し、ホームレスや売春婦、ドラッグ常習者がうろつく中を歩いて、彼を震え上がらせようとした。ガードナーはスミスに怖いかと尋ねたが、彼は認めたがらなかった。

「僕は言ったんだ。僕はウィル・スミスだ、人々に愛されてるって」スミスは回想する。ガードナーは感心しなかった。「こう想像しろ。君はウィル・スミスじゃない。君はここで眠る。自分の息子と一緒に」

ジェームズ・ラシター、スミスの友人で20年来のビジネスパートナーである彼は、スミスが同世代の中でもっとも尊敬を集める俳優達のランクへ仲間入りしようと努める中で、深みを増し、成熟してきたと見ている。

「ウィルはいつだって人々に愛されたがるやつで、そのための努力をしている」とラシターは言った。
「そういったことは努力で得られるものではないのだと、彼は理解しはじめているんじゃないかな。自然に起こることだと」

その願いをかなえる方法のひとつが、アメリカでは無名のイタリア映画監督ムッチーノの手に自らを委ねることにあった。
「チャンスをつかむことでしか、次のレベルへは進めない」とラシターは言った。
「かつては安全策の方が筋が通っているように思えた。だけど今のウィルにはこう言えるほどの自信がある。『この監督の情熱に共感してる。この方法で進みたい』と」

ムッチーノに刺激されて、スミスはセットの外と中で自らを制御する術を棄て去ろうとした。
「自分を騙したい、スリップしたい、それは奇妙な、一種の一時的狂気ともいえる。くしゃみにも似てる。来るぞ、来るぞと予感し、実際に来た時には制御を失い、目を瞑り、心臓がとまる」
「僕が捜していたものに類似している。自分が本当にアリだと、あるいはクリス・ガードナーだと信じる瞬間。すべてのテイクでそこへ到達しようとするんだ」

彼はモザンビークでアリを撮影しているとき、何度かその感覚にとらわれた。「幸せのちから」では、その瞬間はより頻繁に、より静かに訪れた。
ガードナーがオークランドの駅舎へスミスを連れていったときもそうだった。ガードナーが息子と何度も寝泊りしたトイレにスミスは一人で残り、5分後に出てきたときには「同じ人間じゃなかった」とガードナーは回想した。「ゴーストが彼の体に乗り移ったかのようだった」

その場面は後にセットで撮影された。「あれは演技のニルヴァーナだ」とスミスは言った。「演技はしていない。その瞬間にスリップしている。僕は"そこ"にいた」

ガードナーとスミスの育ちには共通点があまりない。ファンならご存知の通り、スミスは両親の揃った中流家庭に育ったが(*訳注:いや、ファンならご存知の通り、ご両親は離婚されてますが)、ガードナーは大人になるまで父親を知らず、里親や親戚の家で育ち、母親の再婚したアル中の男に暴力を振るわれた経験がある。

義父はガードナーを役立たずと呼んで貶めることに格別の喜びを感じていたが、ガードナーの人生は義父の言葉が間違っていたことを証明するものとなった。また彼は、義父のようにも、また彼を捨てた実の父のようにもなるまいと努めた。

ガードナーとスミスに共通しているのは、オプティミズムと、成功を目指して突き進まずにはいられない、生まれ持っての気質である。
ガードナーがどんな犠牲を払ってでも息子を手放すまいとしたその決意を、スミスは完璧に理解する。

「僕はそれがすごく分かる。僕自身がそうだ。自分にできる限り、ベストを尽くさずにはいられない。勝ち取れる可能性のあるすべてを勝ち取らずにはいられない。関係を持つことになったすべての人間に一人残らず尽くす義務があるように感じる。僕の人生で知り合った人全員にそうする義務がある。神のお召しだ。あるいはアラーかエホバか。理由を知る必要すらない」

アメリカの美点は僕らが現実的でないところだ。すべては可能だという考え。その考えはこの地で生き続けている。この物語はなぜアメリカが機能してきたかを語る。ひとつの考えとして。その考えとは、ここがクリス・ガードナーを可能にする世界で唯一の国だということだ。『追究』がアメリカを偉大なものにしている」

そこでウィル・スミスは驚くべきことをやった。独立宣言書の第一節を丸ごと暗誦したのだ。"PURSUIT OF HAPPINESS(幸福の追求)"の部分を含み、火のような速さで。
暗誦を終えると彼は言った。「僕は信じてる」 少し間を空け、「成功しているとは思わないけど」 それから彼はガードナーと一緒に貧民窟を歩いた時間を回想した。

「僕らはただあそこに立っていた、夢の敗れたあの場所に。極度の貧困。そこで僕に押し寄せてきたのは、究極の貧困はアイデアの貧困だという考えだった。クリス・ガードナーは他の人々と変わらず貧しかったけど、彼は決してアイデアを不足させなかった。信条に富み、信念に富んでいた」
彼は笑った。あの明るい、「ウィル・スミスだ、こいつはいいことがありそうだぞ」と思わせる笑顔で。
「僕はいつだってそんな風に感じてきた」

He's the DJ, I'm the Rapper

nanacent2006-05-29


最近ドイツで行われたインタビューでジェフが話していたが、今年は実にDJ Jazzy Jeff & The Fresh Princeのデビュー20周年にあたる。
最初のシングル、"Girls Ain't Nothing But Trouble"が地元のマイナーレーベルよりリリースされたのが1986年のことで、グループの結成から1年も経たぬうちの出来事だった。
そのラッキーボーイともいえる相棒を見つけた正確な月日を、ジェフははっきりとは覚えていないという。
だが、1985年のどこかにあった一夜が彼のその後の人生を決定付けた。
ということでウィル・スミスの音楽キャリアにおける最重要人物、ジャジー・ジェフのおそらく日本で一番くわしいと思われるプロフィールを以下に書いちゃおっと。


ジェフリー・アレン・タウンズが生まれたのは1965年のフィラデルフィア
多くのストリートキッズと同様、楽譜は読めず、高価な楽器も持っていなかったが、カウント・ベイシーのMCをしていたという父親や、R&Bを聞く年上の兄姉たちの影響もあり、子供の頃から様々な音楽に囲まれて育った。
やがて幼心にも、即興でアレンジを加えて場を盛り上げるDJの技に、ジャズを聴くときと同じ興奮を覚えたという。
父親を癌で亡くした10歳の頃に自らも音楽を始め、12歳の頃には地元の最年少のDJとして舞台に立っていた。
これは1979年にシュガーヒル・ギャングの"Rapper's Delight"がラップ音楽として初めてラジオ放送に乗る以前のことで、時代はヒップホップの創生期を待っていた。
ジェフはDJネームを"Mixmaster Jeff"にするつもりだったが、Tシャツに一文字25セントで名前をプリントする段階になって、"Mixmaster"では出費が高くつくことに気づき、Tシャツ屋に薦められるまま"Jazzy Jeff"という安あがりな名前を選んだ。


12歳のジェフは自らを茶化して"the bathroom DJ"と呼んでいたそうだ。
最年少だったジェフがターンテーブルの前に立てるのは、他のDJたちがbathroom(トイレ)に行く間だけだったからだが、8年後にはそれも笑い話となり、ジェフは地元で1,2を争うDJとして誰もが認めるスキルを身につけていた。1985年、彼は20歳になっていた。
ジェフがスクラッチを始めた当時は、クラブはDJ達の独壇場でラッパーはほとんど存在しなかったが、その様相も8年のうちに大きく変わり、街のどのDJもラッパーとチームを組んでプレイするのが主流となっていた。


その日、ジェフは週末ごとに行われるハウスパーティのひとつに出演。いつものように円盤を回すはずだったが、どういうわけか連れのラッパーが姿を現さなかった。
急きょ代理役を探すことになったジェフのもとへやって来たのは、そのクラブの近くに住む16,7歳の高校生だった。
"Hey wassup, mind if I grab the mike?"
軽いノリで現れたピンチヒッターは地元のパーティで人気を博す明るい青年で、ジェフも数ヶ月前にライヴを目にしたことがあった。
二人は即席チームを組み、ステージへあがった。
DJジャジー・ジェフ&ザ・フレッシュ・プリンスの最初のパフォーマンスが行われた夜である。


ウィラード・クリストファー・スミス・ジュニア。
「このトチ狂った奴を見つけるまでに、2000人ものラッパーとタッグを組んだ」
と、のちにジェフは語っている。
その瞬間、自分でも理解できないようなケミストリーが二人の間に働いた。
「どうやってコイツは俺がこのレコードをかけることを知ったんだ?どうして俺はコイツの殺し文句が4行目に来ることを知ったんだ?」
そして何よりも、互いが互いの知る限り、最大級の「バカ」だった。
その楽しさが決め手だった、という。
ジェフはかつてのパートナーが戻ったあとも、その夜のチームプレイが忘れられず、まもなくウィラード・スミスと本格的な活動を始めるようになる。
彼を加えた3人で数回ステージに立ったあと、「力量の差が歴然としていたので」とジェフは説明するが、以前のパートナーは自ら身を引く形で姿を消した。


プリンスの愛称で親しまれる新しい相棒は、性格のおとなしいジェフに比べて、非常に社交的、活動的、行動的だった。
二人が作った"Girls Ain't Nothing But Trouble"が世に出ることになったのも、若い相棒が積極的にアプローチをした地元のプロデューサーのうちの一人がGOサインを出したことに起因する。
リリースが決まるまで、ジェフの方は自分のテープがレコード関係者の手にあることすら知らなかった。


それから20年である。
JJFPは解散していない。
それが二人の変わらぬ主張だが、グループ名義のアルバムが最後に発表されたのは1993年、今から13年も前のことになる。
フレッシュ・プリンスはいまやウィル・スミスというハリウッドスターの名でよりよく世界に知られるようになり、かつてジェフ・タウンズという若者とデュオを組んでいた歴史はその陰に隠れつつある。
現在に至るまでのジャジー・ジェフの功績は音楽業界においても大きな評価を受けているが、一般の目には地味に映るかもしれない。
ごく最近リリースされたファレルの新曲、"Number 1"の中では、カニエ・ウェスト
Now we Fresh as a Prince while they Jazzy Jeff
と、スポットライトの中にないジェフを揶揄するようなライムをしている。
この曲を聞く年若い世代に馴染みがないとしても、JJFPが商業ラップとディスされながら、ヒップホップの先駆者として大きな役割を果たしたのは否定できない事実だ。
だが、その事実もまた、ただ過去の物語として終わるのであれば退屈な事実である。


つまるところ、ファンは待っている。
JJFPの復活は、これまでもずっと手が届きそうなところにありながら、決して実現を見ないフラストレーションの源泉だった。
それを難関にしているのはいつでもあの男、フィリーからカリフォルニアに飛ぶ道程のどこかで混乱し、エイリアンやロボットと戦うのが自分の使命だと思いこんだらしい、かつての高校生。だが、ファンにとっての本年度唯一の希望は、冒頭に紹介したインタビューの中でジェフが珍しくウィル・スミスにハッパをかけ、新築のレコーディングスタジオに出頭するようゲキを飛ばしていたことである。
元来が職人気質のジェフは上記に挙げたような「スポットライトのあたらない」ポジションなんかは全く気にしていない。それどころかウィル・スミスがコロムビア・レコードと大型契約をとりつけたときに、自分の納得のいく音作りができない、とインディーズに残ることを選んだのはジェフ自身である。「金に興味がないと言いながら、本当に金に興味がない希少な人間」とはウィル・スミスの言だが、感心してないでさっさと目を覚ませ!とはワタシの言である。


「ウィルは相変わらず忙しいけど、1時間や2時間スタジオに来るだけじゃだめだ。1週間か2週間は欲しい。"He's the DJ, I'm the Rapper"を二人でレコーディングしたときのような古き良きバイブを取り戻したい。僕たちはあのアルバムを2週間で書いた。ママの地下室でね。僕は最近引っ越して今は自分の地下室にでかいスタジオがある。そこに来てほしい。あのときの僕たちにあったような空気を作り出す努力をしてほしい。ウィルと僕だけで。他には誰も入れず。もう一度1986年がやってきたような振りを二人でしたい」

熱い…
ホモかと思うほど熱い!
しまいには興奮しすぎて「周りにイエスマンばっかり引き連れてるから10年来くだらない音楽しか作れないんだよ、いいから俺にやらせろ!なんとかしてやるから!」と喧嘩まで売る始末だったが…いい友達じゃん!!ほんまにもう〜〜〜たのんまっせウィル・スミス。感動ドラマなんかやってる場合か。攻撃的になれ、攻撃的に。

はじめに

このブログはマイボス・トレンさんが経営するウィル・スミスのファンサイトSO FRESHに付属するファンブログです。
日本では意外と知られていないウィル・スミスの小ネタ、大ネタをどんどん紹介していく予定。質問等あれば、なんでもお問い合わせください。